May 01, 2011
言葉。
今週は日本語について話す機会が2度あった。
一度は、編集会議で会った七十代の方との会話。

昨今、日本語が正しく使われていないことに怒っていらっしゃる様子。
同窓会で、言語学を学ばれてきたというご友人にこの件どう思うか問うたという。
「言葉は道具だから」とそのご友人は笑って答えたらしいのだけど、ひどく憤慨されていた。

明治から昭和中期まではきっと小説家たちが新しい言語を造り、いわば乱してきたのだと思う。
(戦後はまた少し別の手が入ったと思うけど)。
その役割がテレビに代わり、ネットに代わり、変化していく言葉を受け入れられる世代と受け入れられない世代があって。

誤用も大多数が使えば正しくなってしまう今日。
だから、正しい日本語っていうのは、どの時代に使われていた日本語を基準にするかが問題なのだけれど、きっと誰もそれを決定できない。

で、思うに、10代、20代、30代、40代、50代、60代、70代、80代とそれぞれの世代で通用する言葉があって、その世代にとっての正しい日本語はそれぞれで、30代の僕は自分の世代に加えて、せめて20代、40代の日本語には精通しているべきだと思う。何なら、職業的には全世代の言葉を操れなければいけない。

そうそう、二度目は、劇作家研鑽の会「クオークの会」にて。
普遍的な言葉を探るべきか、今の言葉を操るべきか。
しかし、普遍的ってなんだ?今ってなんだ?って結局なる。

よく台詞で高齢者の語尾を「何をしておるのじゃ」とか「それはええのう」なんて表記してしまいがちだけど、それって良く言ってデフォルメで、リアルじゃない(方言は除く)。
でも、僕らが10代の台詞をリアルに書けるのかって言ったら、少し不安がある。リアルな10代に僕の台詞を聞かれて「デフォルメですね」って言われやしないだろうか。

「俺のカー・オブ・ザ・イヤー」は舞台は東京近県のやや田舎町だけど、大阪から来て住んでいる人が何人かいる設定にした。だから、関西弁で台詞を書いた部分がある。僕は多感な時期を千葉で過ごしたけど、関西弁はリアルに書ける。
でも、役者はもっとリアルだ。
謹ちゃんが、僕がもともと「ほんなら3人で飲みに行こうや」って書いた台詞を「ほんなら3人で行ってまおうや」って変えて言っているのだけど、これが誠に心地良い。
「行ってまおうや」は台詞で書けない。役者の生きた言葉だと思う。

言葉は道具か?
道具かもしれない。
でも、100円均一ですべての道具を揃えるのは避けたい。
お店を選んで、手に取って、吟味するようにして選びたい。
せめてそうやって、自分が自信をもってお届けできる言葉を使っていきたいものだ。
たまに茶目っ気出すのはご愛嬌として。


取り留めの無い話。

でも僕は今夜思ったのです。

言葉はいつも危ういけれど、結局言葉に助けられて日々の暮らしを暮らしているのだと。
ありがとう。
おやすみなさい。
diary |  0:12 AM