April 28, 2011
「俺のカーオブザイヤー」東京公演を終えて帰ってきました。
CoRichでの評価がいつもより良かったり、個人的にえらく褒めていただいたり(何なら僕の15年の歴史をひっくるめて評価してくれるような賛辞)、波に乗ったステージと乗れなかったステージがあったことは良ろしくはありませんが、概ね良好な仕上がりになったと言っていいんじゃないでしょうか。
ご来場ありがとうございました。
大阪公演。劇場が広々としております故、作戦練らねばなりません。
その前に同じ場所で中之島文化祭。
女子高生シリーズの見納め。
2009年の同文化祭から、星が降り...、徹底的...、トバス...それぞれの300秒ショー、そして3300秒ショーときて、いよいよ6作目。
シリーズ当初から彼女たちの「卒業」と「恋」を描いてきたけれど、ようやくサヨウナラだ。
GWは、たくさん宿題がある。
仕事に没頭しようと思う。
April 19, 2011

18日は朝から東京公演の大道具の積み込み。
劇団からは僕ときんちゃんと杉森が応援に。
帰りに3人で回転寿司に寄った。
この件、書き出すと長くなる上、あんまり面白くないから割愛するのだけど、
簡単に言うと、前日の稽古の昼休憩で食べ損ねた寿司のリベンジを果たすための回転寿司である。
これを読んだ劇団員だけが悔しがってくれれば。
しかも、昨日行こうとした場所と同じ「くら」なのだ。
お店を出て、駐車場にて。
道挟んで向こうの壁に、並々ならぬアッピールが見事な縁取りまでされた文字で書かれていた。

生まれる前から不眠症。(電柱で隠れてる部分は「ら」です)
どういうことだろう。
少なくとも言えることは、眠れない夜に繰り出した際に書かれた落書きだということだ。
どうぞ安らかに眠ってください。ちーん。
あ、明日から東京です。
April 11, 2011
朝から久々喫茶店に繰り出して仕事。
本日のホットサンドは「トリとゴボウサラダのサンド」って言うから注文したのに、中身がハムチーズだった。
念のため聞いてみよう。
「あのホットサンド、トリとゴボウのって聞いてたんですけど、、、」
「あ、すみません。今ハムチーズなんです」
どうやら食材が切れてしまってハムチーズに切り替わったらしい。
それならそれでいいんだけど、
2分後、
「先ほどは失礼いたしました。他のサンドイッチとお取替えしましょうか?」
「あ、いえ大丈夫です」
3分後、
「お客様、私のミスです申し訳ございません、以後気をつけます」
「大丈夫です大丈夫です、こちらこそすみません」
替わるがわるやってくる店員に、周囲の皆様も何事かと僕のテーブルに視線を向ける。
嗚呼、接客業の難しさよ。
April 11, 2011
ギリギリ暮らしています。
今日はキューピーコーワゴールドαをフリスクのように食べてはいけないと注意された。
ここ数日はどうも細かいことがすごく気になったり、どうでもいい話題をどんどん掘り下げて熱中してしまう。
喋るべきじゃないことまでベラベラ喋ってしまって一人で自己嫌悪に陥ったり。
メールの文章がまとまらなかったり。
人にキツく当たってしまったり。
プリッツ(ロースト)を食べ過ぎたり。
ストレスだろうか。
縄跳びで言うなら、「はやぶさ」を跳び続けるような感じで時間が過ぎていく。
ちょっと言ってることがわかんない。
神経という線を、縄跳びに例えてみようと思っただけです。
それにしても、やらなきゃいけないことは山ほどあるんだけど、東京都知事選の政見放送をネットで順番に見てしまった。
すごい、東京都知事選。
特段ひどいのはマック赤坂氏。
ふるかわ圭吾氏も大変なことになってる。
彼らのことを一生懸命調べている時間は無いのだ。
April 06, 2011
稽古の帰り道。
4月の夜、寒風吹きすさぶ中、みんなでゾロゾロと歩いているとき。
「あー温泉行きたい」
と僕は思わず呟いた。
何人かの同意を得るも、謹ちゃんが
「湯冷めが怖いから俺は行きたくない」
という主旨のことを言った。
【温泉VS湯冷め】
湯冷めが怖くて温泉を諦めるなんて、僕にとっては「死ぬのが怖いから生きるのをやめる」という考えに等しい。
説得を試みようとしたけど、謹ちゃんは湯冷めの怖さを懇々と語り、「年取ったってことやで」と取り合わない。
すると、かつろうが僕を援護するつもりか、
「俺はむしろ湯冷め歓迎」宣言をした。
どういうことだろう。少なくとも援護にはなっていない。
聞けば、彼は家でも風呂から上がったあと、真冬だろうが裸同然でベランダに佇むらしい。
極度の暑がりということは稽古場のエアコンのコントローラーをつかさどるかつろうの「設定温度」から見てとれる。
湯冷めを楽しむために風呂に入っていると言っても過言じゃない。
両極の意見。
この極端な2人が15年も劇団を一緒にやってきて、このたび充電に入るという。
妙に納得できる話である。(冗談です)
April 04, 2011
昨日は一日「空と私のあいだ」のワークショップ&オーディションだった。
たくさんの応募者の方とお会いして、たくさん良い役者さんがいるんだなぁとしみじみ思う。
土田さんはとにかく喋りっぱなしで大変そうだった。
分担できることがあればしますが、と何度か言ってみたけど、そうもいかないようだ。
そもそも土田さんのワークショップをみんな受けたいわけだし。
むしろ、僕がいることでワークショップの中で一回使った例え話をもう一回するのが恥ずかしいと言わはる。
そんなことにエネルギー注がないでください、と伝えたけれど、次の回で新しい例え話を取り入れる土田さん。
感涙。
僕に出来たことは、浅田飴をお裾分けすることくらい。
後は、「ずっと黙ってメモを取っているアイツが黒幕なんだな」と参加者のみなさんから思われるように一生懸命演技した。嘘です。
全部終わった後に話しをしていたのだけど。
これは、先日のクオークの会でも話題に挙がったことなんだけど。
今回の東日本大震災を受けて、僕ら劇作家の立ち位置はどうなるのだろうか、と。
社会のひずみだったり、人間関係の軋轢だったり、市井の人々の暮らしだったり...日常をずらすことや、現実世界との対比で描いてきた作品が、今、どんな意味を持つんだろう。
日常や現実世界が変わりつつある今、今までと同じスタンスでモノを作れるのだろうか。
普遍的なモノを作ろうとしてきたのに、その「普遍」が揺らぐ。
思い切りファンタジーに寄ったり、笑いというものに特化したり、もしかしたら、そういうことでしか確信を持てないんじゃないかしら。
またいずれ今回の震災や原発事故を乗り越えた「日常」がやってくるのだろう。
それまでずっと...
僕は、「ゴムドンシリーズ」をやり続けることになるのだろうか。
まさか!