April 10, 2013
東京と長崎で観た作品から思いを馳せる。
僕がiakuをスタートさせてからの演劇活動の視点は「地域」を意識することが多くなった。
これはいわゆる「都市」に対しての「地方」という意味ではなくて、大阪や東京も含むそれぞれの活動地盤の意味で「地域」という。

東京があらゆるモノの中心であり続けることには違いないけれど、それはあくまでも抱える人数が大きい故だと思う。
これから語られるべきは「率」で、地域の人口に対してどれだけ演劇で影響を与えることができるか、じゃないだろうか。

僕が小作品をもって、100人ちょっとの、あるいは数十人の方に観てもらうために各地で上演を打ったり、様々な地域で戯曲講座を計画しているのは、「率」を意識しての動きなのです。

では「率」にこだわった先に何があるのか...
様々な場所で僕の作品、もしくは僕個人に対しての密度が濃くなる。そこで〝コア〟を育んでいく。
各地でたくさんの人と交流すると、同じようなことを考えている人もたくさんいて、徐々につながってシナプスになる。
都市を中心とした「放射状」ではなく、各地で小さな発信を連鎖させていく。
そういうことを進めていくと、「都市」だとか「地方」だとか言ってる場合じゃなくなるし、各地域の優れた演劇が注目を集めやすくなるんじゃないだろうか。

だけど、同時に「都市」を常に見つめておく必要もあって、大都市から発信される作品に関わることができたなら、地域での活動にも還元があるはずだ。

ヨーロッパ企画さんなんかは10年くらい前に既にこのことに気づいて動いていたように思う。

かと言って自分の気づきが遅過ぎると悲観する必要もなく、今の時代に個人だからやれる強みを探究したい。

そんなわけで、先週は東京でカトリ企画の「紙風船文様」を、長崎でRAWWORKSの「素敵じゃないか」を観劇。
いずれも男女二人芝居で尺も長くない。
俳優にきちんと光が当てられている上に、演出家がしっかり顔を出す。そして、作品の屋台骨として戯曲が存在している。
地域を意識した製作になっていて、各地で〝コア〟を作っていける強度のある内容だった。

そう。
たとえばツアーを組んで、各地で自作品を発信する際に一番重要なのが作品の強度だということを知っておく必要もある。
「強度」ってかなり含みのある表現だけど、単純に笑えるとか泣けるとか面白いとかで計れない演劇の「強さ」みたいなモノ。実際は笑えて泣けて面白ければ「強い」と思うし、娯楽性を無視するのはいただけないとも思う。
ある意味それは主観でもあるので、「結果的に強くなかった」ということもあるかもしれない。

だから「強み」が見つかるまでは無理に動く必要もない。
それは自身の活動地盤で育てればいい。そういう意味で、僕は新作至上主義にはアンチで、各地で多くの支持を集めた作品に強度を加えて(再演)、それから持ち出すこと(再演ツアー)を推奨したいと思うのです。

そんなことを言いながら、iakuの次回作「流れんな」は新作でありながら、福岡にも持っていくことになった。
そこに口八丁で理屈をつけるならば。
時に、方針や計画を飛び越えるチャレンジも必要ということ。
そして、iakuにとって、もう福岡はコアが生まれつつある地域かもしれない、という可能性を確認すること。
チラシにも書いたけれど、福岡演劇界の分母のひとつになれるように頑張りたいと思う。
福岡を少し特別な場所に思うのは、大阪と同様、都市の要素を強く持つ地域だから。
大阪でやろうとすることを、同時に福岡でもやれたなら、そこでまた地域差なんかも見つかるかもしれない。それを見つけたとして、以後どう生かすかまでは分からないけれど。まあ、誰かに何かを伝えることはできるかもしれない。

そして、そんな僕の活動理念が重なったサキトサンズの全国武者修行ツアーは、5月に北海道と三重に参ります。絶賛予約受付中→サキトサンズweb

数年後にiakuの活動が日本の演劇に何らかの形で寄与できればいいな、と最後に大それた希望を告げて、閉じましょう。
diary |  8:52 AM