March 05, 2014
関西の劇作家の世代間交流。
僕たちが20代の頃、関西小劇場の世界には、30代の憧れの先輩劇作家たちがいた。
いわゆる裏方の、見えないどなたかが10離れた世代を繋げてくれていた。
僕たちは先輩の劇団を見て「あんな作品をつくりたい」とか、「この作品を超えないと評価されない」とか、ある種の基準にしていた。
見えないどなたかの計らいで、飲みの席や交流の場が設定されて、小心者の僕なんかでも、少しでも先輩劇作家の話を聞こうと近くのテーブルについたものだ。

今、僕たちが30代になって、20代の後輩が近くにいるだろうか。
少なくとも、僕にはいない。
(「いない」なんて言い切っちゃうと、「僕は? 私は?」って言う人もいるかもしれないけど、話をシンプルにするために「いない」とさせてください)


なんで繋がっていないんだろう。
交流の場を作ってくれていた人たちは、僕たちが年をとった分、同じだけ年をとる。
当然20代とは遠くなる。
僕ら世代の「裏方」さんたちにも、世代間交流が少なくなったことへの危機感を抱いている方はいて、僕の知らない所で様々な場を設定するように苦心していくれているように思う(そういう企画もネット上などで目にする)。


でも、肝心の30代劇作家が開かない。(あ、少なくとも〝僕は〟)
なぜなら。
必死だから!
自分のことがまま成らないから、余裕がない。
僕らが20代のときに憧れていた30代劇作家が到達していたところに、同じ年になった今、まったく到達出来てないような気がして、いつまでも若手気分なのだ。
同じ30代で集まって仲良くやりながら、40代の先輩劇作家に今もお世話になっている。
(このことに一つも否定的な思いはなく、これからも同世代と仲良くして、先輩にお世話になる所存です。何この保険...)



これは先細りのニオイがする。
上が詰まってて抜けてくれないから僕らのポジションが上がっていかない、とか環境に対する不満を募らせてみたり。
10年前に暗躍してくれた裏方さんが、今も当時と同じ人間関係しか抱えていない、とか他人のせいにしてみたり。
若手がアクセスして来ない、とか自分たちの当時の引っ込み思案を棚に上げて言ってみたり。

いくらでも言い訳しようと思えば出てくるけど、一番は、僕たち30代劇作家に確固たる自信がなくて、怖がっているからじゃないだろうか。(あ、僕は、ですよ)

そんなこと言ったら、上の世代の先輩たちにしたって「俺たちだって確固たる自信なんか無かったわ!」と怒られそうだし、何なら、確固たる自信を持ってる人なんて小劇場で活動している人の中に一人もいないかもしれない。

「それでも自分たちを鼓舞して、時には先輩風を吹かせて、お前らのこと気にかけてやってきたのだ!」
と言われたら、ぐうの音も出ない。


iakuを開始してからの僕と言えば、世代間交流よりも、他地域との交流に目を向けている。
でも、せっかく得ている他地域の演劇界の情報、下の世代に伝えるべきじゃないのか。自問。
自分への自信の無さとか関係なく、経験則や持っている情報くらいは若い世代の糧になるだろう。自答。




さて。どこに話を持って行けばいいか、見失いつつある。

少しでも実りのある方向へ。ということで、劇作家協会の話。

日本劇作家協会という組織があって、各地に支部があり、関西には京都支部があった。
今は開店休業中で、実は今年6月の豊岡で開催される劇作家大会に向けて、京都支部の改組というか、関西に新しい支部が誕生する予定で、今その準備をしている。

この新しい支部は、僕たち30代劇作家が中心になって動いている。

つまり、このことは、僕たち次第で若い劇作家との世代間交流を深める可能性があるということなのだ。

試されている感じがするなぁ。
自分のこともまま成らないのに。
ああ、自分のこともまま成らないのに!



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この記事を書いて、少ししてから読み返してみたのだけど。

・そもそも、若い世代は上の世代との繋がりを求めているのだろうか。
・「世代間交流が少なくなったことへの危機感」なんて書いたけど、本当に危機なのだろうか。
・若い世代は、もっと野心があって、僕ら世代なんか簡単に飛び越えていこうとしている、てことはないだろうか(野心なんてものは個人差だけど)。
・そもそも、今「世代」でくくること自体がナンセンスなんじゃないだろうか...

と、記事そのものをエクスキューズしてしまうのも、気の弱い30代の情けなさ(少なくとも、僕のことです)。
diary |  8:55 AM