売込隊ビーム所属、劇作家・演出家、横山拓也のブログ
June 22, 2011
昨日は「空と私のあいだ」の稽古を休ませてもらって、「エダニク」の稽古に顔を出した。
悩ましい問題が浮上しているとのことで、僕もいっちょ噛みさせてもらおうと思って。
緩めの議論に参加して、読み合わせを拝見し、稽古後の飲み会で事は丸く収まった。
めでたしめでたし。
なんのこっちゃか分からないように書いてますが、いずれどこかで、たとえば
真夏の極東フェスティバル特設サイトなんかでこの話を公開することがあるやも。
へヴィチェックよろしくお願いします。
さあ、明日からは「空と私のあいだ」に集中だ。
しかし、西宮の空はいつも燃えているな。
で、西宮は食事のおいしいお店が多い。
June 20, 2011
「空と私のあいだ」の稽古場が今、非常に難しいところにあって。
″非常に難しい"なんてオブラートに包んでみたけれど、簡単に言えば辺鄙なところにある。
電車で行くと、片道700円くらい掛かるし、ドアtoドアで1時間45分はみなきゃいけないという。
そんなこともあって、最近は車で通っているのだけど、それはそれで悩みがある。
積載の問題だ。
大阪方面から通ってるメンバーがきっと僕同様に電車賃や距離に苦労していることが分かる。
だから、本来なら大阪方面から来る何人かを車に乗せて帰ってあげたいところだ。
しかし、役者総勢16名のうち、大阪方面から来るのが7人もいる。
僕の車は4人乗りだ。
内、僕が乗ることは許してもらうとして、3人を乗せることが可能である。
でも、7人いるのだ。
誰かを乗せれば4人があぶれる。
昨日はいよいよ変な感じなって(僕の心の中だけが)、なんだかとても申し訳ない気分だ。
比較的家が近い出演者の女優さんから「車いいなぁ」と言われ、
全然乗せて帰るのは吝かではないのだけど、女の子一人だけ乗せるのは多分互いに抵抗感があるので(僕が気にしすぎだけなのかもしれないけれど)、やんわりとまあ次の機会にと濁してみた。
で、僕は車を発進させたのだけど、交差点で赤信号で止まると、そこに劇団員の竹田桃子がもう一人別の女優さんと2人で歩いていて、目が合ったので「乗る?」と口走ってしまった。
「いいんですか?」
と大阪方面の2人は車に乗り込んだ。
そうなると、さっき「次の機会に」と断った彼女に申し訳ないような気がしてきて、桃子に電話してもらって交差点で待ってるからおいでと一緒に乗せてあげることにした。
10分くらいすると、他の出演者の方々に混じって彼女はやってきた。
その中には大阪方面に帰る人もいる。
しかし、僕の車の定員はあと一人だ。
桃子が車の窓を開けて「おーい」と呼ぶ。
(便宜上、桃子をデリカシーの無い人のように描いていますが、実際は気遣いのできる女性です。念のため)
彼女は屈託の無い笑顔で一人車に向かってきた。
(すみません、このくだりもデフォルメして書いています。彼女に非は何一つありません)
駅に向かって交差点を渡っていく他のメンバーの視線が刺さるようで...(僕の自意識過剰であってほしいけど)
そんな苦悩を抱えて僕は車通勤しているわけだけど、これを書いたのもきっと昨日交差点を渡っていった他の大阪メンバーへの言い訳をしたかったのかもしれない。
そういうわけで、よろしく頼みます。
何を?
June 16, 2011
どんなに大雨が降ろうが果敢に2回洗濯機を回す横山拓也です、こんばんは。
血で血を洗う地デジの時代ということもあり、最近僕も録画機能がついたテレビを手に入れたわけですが。
ご存知とは思いますが、あらかじめ毎週決まった番組を予約録画することもできて驚きです。
そんなこともあって、最近はここ数年でもっともテレビ番組を見ています。
長らく「録画」ということを諦めて、そうなると自然とテレビから遠ざかっていたんだけれど、まあなんて素敵な機能なんでしょうか。
しかし僕は、人間が犯した神への最大の冒涜が「録画」である、と思うのです。
突然「神」とか言い出すと、その存在の捉え方云々の話になってはいけないのでアレですが、「録画」は神の領域だと。
まあ、あまり深くは聞かないでください。
半月もブログを停滞させていたので、リハビリ的にこういった文章からまたやらせていただこうと思います。
次回からは「である調」に戻します。ってどうでもいい予告。
June 16, 2011
ある行動をする。
誤解が生じる。
誤解を解こうとする。
すると行動が崩れる。
というジレンマがあったとする。
僕はたとえ誤解が生じようとも、行動を崩さないために、しばらく続けてみようと思うのである。
よく分からない決意というものは、自分で思っておけばいいのだけど、断りみたいなものは書いておきたいと思うのが人の性。
さてさて。
明日は約三ヶ月ぶりのラジオドラマ打ち合わせだ。
長いスパンでやっております。
新しいアイデアを持っていかなきゃいけないので、今から考えをまとめようと思う。
「今から考えをまとめようと思う」って書いたけど、本当は「今から考えようと思う」なのだ。
しかし、万が一先方様がこのブログを読んでいたら「今から考えるのかよ!」って思われるのはまずいな、ということで、「考えをまとめる」としたのである。
既に考えていたことを今からまとめる、という印象を持ってもらうために。
「今から考えをまとめる」っていうのは、「今からまとめる」わけなんですが、「考える」行為がいつなされたかは明確に言われていないという日本語の妙。
そういう誤魔化しってすぐばれるもんだとは思うけれど。
阪急電車のネグラの上で、空が燃えていたよ。
June 01, 2011
元々お酒は弱い僕なのだけど、もう絶対にお酒を飲んじゃダメだと思う。
僕は一昨年の夏に、飲み会の帰り道、駅のホームで意識を失って線路に落下したことがある。
落ちてからもしばらく意識は戻らなかったのだけど、そのときは、親切な方がホームに設置されている非常停止ボタンを押してくれて、電車は僕の20メートル手前で緊急停止してくれた。
ということがあってから、できるだけお酒は控えてきたのだけど。
昨日、「空と私のあいだ」の稽古終わりで一杯飲みに行って。
その帰り、土田さんと出演者の岩田さん、劇団員の竹田桃子が同じ電車だった。
最終電車だったので、少し走って間に合わせた。
そのせいもあってか、お酒が加速度的に体内を駆け巡った感があり...
まあそのまま電車に乗って、4人で立ちながら喋っていたのだけど。
ちょとして、僕は血の気が引いていく感じがして、
「お、これはいかんな。目を閉じよう」
と誰に断ることもなく、休憩モードに入った。
すると、すごく晴れやかな音楽が聞こえてきて、天日干ししたばかりの蒲団の上に寝転がるような、ふわふわした心地良い気分になってきた。
菜の花みたいな黄色い小さな花が降り注がれ、シャボン玉が上空を舞う。ああ、気持ちいいな...
って思っていたら、
「横山くん!」
と土田さんの声。
軽く頬を叩かれて目が開いた。
蛍光灯や吊革が上の方にある。
あ、倒れたのか俺。
「土田さん。すみません、またやってしまいました」
桃子に教えてもらった目覚めたときの僕の第一声。
スーッと倒れていく僕の頭を支えてくれたのも桃子だという。申し訳ない。
意識のない20秒くらいの間、僕の黒目はとてもキレイに澄んでいたらしい。
いい大人なのに、車内で倒れたまま、水を飲まされたりする。
また親切なサラリーマンの方に席を譲ってもらって、正気を取り戻す。
相当落ち込む。
別にお酒が好きだというわけでもないのに、場に合わせて飲もうとしてしまう自分が情けなくて。
どうか皆様。
万が一僕がお酒を飲もうとしているところに遭遇したならば、どうにかして止めてやっていただけますでしょうか。
僕はそれにすぐに応じます。
もちろん飲まないように心掛けます。
元々飲めないのに、禁酒宣言みたいになってしまって恥ずかしいですが。
May 27, 2011
カーオブザイヤーが終わってから10日。
次に控えるMONO特別企画vol.5「空と私のあいだ」の台本をずっと書いていた。
5月頭に土田さんのご自宅で1日執筆合宿をやったけど、僕は調子が上がらずほとんど書けなかった。
オムニバスのような構成で、そのなかの2話担当していて、そのうちの一つが女子高生の会話なんだけど、合宿で何ページか書いたのは完全にボツにしたので、きっとこのボツ台本はいつか「ハセドンシリーズ」で使われるだろう(※僕は「かなこちゃんシリーズ」と呼んでいるんだけど、ハセドンの方が知名度があるようなので不本意ながらそう書く)。
合宿で書けなかった僕は、カーオブザイヤー終わりからが勝負ということで、必死のパッチで机にかじりついた。
おかげで一昨日、25日の稽古初日には滑り込ませたのだけど、昨日は一日改稿作業。
元々目標にしている劇作家である土田さんとの作業なので、助言がもう目から鱗で、あと5年早くこの機会があったなら、僕はもう少しなんとかなっていたかもしれない...って思うほどに貴重な時間を過ごしている。
当然作品が仕上がる段階では遜色なく肩を並べなきゃいけないのだけど、作ってる途中のレクチャーがねぇ、もうありがたくて。
きっと素晴らしい公演になると思うので、ご期待いただきたく...よろしくお願いいたします。
6月30日~7月4日、伊丹アイホールでやります。
詳細はまた。
ちなみに4日(月)の開演前のトークに僕出演します。
なにとぞ。
May 17, 2011
売込隊ビーム充電前最終公演「俺のカー・オブ・ザ・イヤー」全日程終了しました。
と同時に、充電期間に突入いたしました。
ご来場くださった皆様、本当にありがとうございました。
劇団員のみんな、ゲストのお二人、スタッフの皆様、お疲れ様でした。ありがとうございました。
また、今公演のみならず、劇団で活動してきた15年間のうち、何らかの形で関わってくださった皆様、特に休団中のメンバー、退団したメンバー、出演してくれたゲストの皆様、劇団員のご家族、関西小劇場の先輩方、後輩たち、劇場スタッフさん、記者様、全員ありがとうございました。お疲れ様でした。
そして、僕たちの公演を一度でも観て下さったことがあるというお客様、本当にありがとうございました。
感謝と労いで一杯です。
そこに落ちてる石コロひとつにもお礼を言いたいほどにです。
おでこに「感謝」と刺青したいほどにです。
ふぅ。
とにかく、ひとまず終わったのだ。
深呼吸して。
劇団の歩みは少し止めることになるけど、演劇活動をストップするわけじゃない。
そんなこともあって、感傷みたいなものはない、と当日パンフにも書いたんだけど、舞台美術で10年以上関わってくれた清さんに打ち上げの席で泣きながら御礼を言われたとき、急に寂しさがこみ上げてきた。
清さんは4年前に出産され、現場に出にくい環境になってしまったのだけど、無理を言って舞台美術のデザインを引き続きお願いしてきた。
ここ数年、売込隊ビームの公演のスタートはいつも清さんのご自宅で美術プランの打ち合わせをするところからだった。
清さんからしたら、「そんな状況でも関わらせてくれてありがとう」と思ってくれていたみたいで、それを感謝していると言ってくれた。
そうか、僕らの充電によって清さんの舞台美術プランナーとしての活動も少しお休みの状態になるのかもしれない。
そんなことを思ったとき、急に色んな想いが溢れた。
清さんには「大人なんだから泣かないでください」って言ってみたけど、僕にしても危うい感じになってきて、おしぼりを何度も畳みなおす行為で涙をこらえた。
打ち上げ会場2軒目、深夜3時。
僕はこのあと自宅まで自転車で20キロの道のりを行くのだけど、それはまた別の話。
May 13, 2011
このブログだけ読んでいると気付きにくいのですが、いよいよ「俺のカーオブザイヤー」の大阪公演がはじまりますよ。
15日の千秋楽は完売だとか。
14日の土曜日は11時と15時の回がありますが、いずれもお席に余裕ありだそうです。
それにしても雨。
雨の日用の音楽をプレイリストに作って聞きながら行くのだけど、なんだか浅い水溜りだと思ったら、意外と深かった。みたいな気分になる。ようわからんが。
明日から晴れろ。
えーい。
♪どこかで 僕を呼ぶ声 届くかな 明日天気になれ~
May 10, 2011
今日
再び津留崎さんが大阪にやってきたので、通天閣に上った。
僕は展望台まで上がったのは2回目か3回目。
以前こんなのあっただろうか。
ビリケンさんの横に、絵馬ならぬ「絵足」がずらり。
思わず読んじゃう。
志望校合格、恋愛成就、金持ちになりたい、ジャニーズに会いたいなどなど、欲望が暴走してビリケンさんには荷が重そう。
そんな中にも秀逸な願い事がいくつかあって。
ヒット作その1。
↓
「どろぼうが にげますよおに」
泥棒が家に来ないことを祈っているんだと思うけど、「泥棒がうまく逃げられますように」とも取れて、日本語難解。
そしてヒット作その2。
名前が出ちゃって申し訳ないけど。
↓
「起大金持ちになれますように」
【超】を【起】と書き間違えてしまう致命的なミス。
きっと松尾昇悟様、金持ちにはなれない。
稽古前のひととき。
May 01, 2011
今週は日本語について話す機会が2度あった。
一度は、編集会議で会った七十代の方との会話。
昨今、日本語が正しく使われていないことに怒っていらっしゃる様子。
同窓会で、言語学を学ばれてきたというご友人にこの件どう思うか問うたという。
「言葉は道具だから」とそのご友人は笑って答えたらしいのだけど、ひどく憤慨されていた。
明治から昭和中期まではきっと小説家たちが新しい言語を造り、いわば乱してきたのだと思う。
(戦後はまた少し別の手が入ったと思うけど)。
その役割がテレビに代わり、ネットに代わり、変化していく言葉を受け入れられる世代と受け入れられない世代があって。
誤用も大多数が使えば正しくなってしまう今日。
だから、正しい日本語っていうのは、どの時代に使われていた日本語を基準にするかが問題なのだけれど、きっと誰もそれを決定できない。
で、思うに、10代、20代、30代、40代、50代、60代、70代、80代とそれぞれの世代で通用する言葉があって、その世代にとっての正しい日本語はそれぞれで、30代の僕は自分の世代に加えて、せめて20代、40代の日本語には精通しているべきだと思う。何なら、職業的には全世代の言葉を操れなければいけない。
そうそう、二度目は、劇作家研鑽の会「クオークの会」にて。
普遍的な言葉を探るべきか、今の言葉を操るべきか。
しかし、普遍的ってなんだ?今ってなんだ?って結局なる。
よく台詞で高齢者の語尾を「何をしておるのじゃ」とか「それはええのう」なんて表記してしまいがちだけど、それって良く言ってデフォルメで、リアルじゃない(方言は除く)。
でも、僕らが10代の台詞をリアルに書けるのかって言ったら、少し不安がある。リアルな10代に僕の台詞を聞かれて「デフォルメですね」って言われやしないだろうか。
「俺のカー・オブ・ザ・イヤー」は舞台は東京近県のやや田舎町だけど、大阪から来て住んでいる人が何人かいる設定にした。だから、関西弁で台詞を書いた部分がある。僕は多感な時期を千葉で過ごしたけど、関西弁はリアルに書ける。
でも、役者はもっとリアルだ。
謹ちゃんが、僕がもともと「ほんなら3人で飲みに行こうや」って書いた台詞を「ほんなら3人で行ってまおうや」って変えて言っているのだけど、これが誠に心地良い。
「行ってまおうや」は台詞で書けない。役者の生きた言葉だと思う。
言葉は道具か?
道具かもしれない。
でも、100円均一ですべての道具を揃えるのは避けたい。
お店を選んで、手に取って、吟味するようにして選びたい。
せめてそうやって、自分が自信をもってお届けできる言葉を使っていきたいものだ。
たまに茶目っ気出すのはご愛嬌として。
取り留めの無い話。
でも僕は今夜思ったのです。
言葉はいつも危ういけれど、結局言葉に助けられて日々の暮らしを暮らしているのだと。
ありがとう。
おやすみなさい。